ふくしまこどもクリニック
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おと

奈良の東部、ほとんど三重県境に近いところに宇陀市がある。町村合併で生まれた市で、その一町に榛原町という人口一万人余りのちいさな田舎町があった。

 生まれも育ちも榛原町。
 静岡県にも榛原という地名があって、町議会の議員をしていた祖父は確か、いちど交流視察に静岡榛原を訪ねたことがある。
 しかし、榛原といえば奈良のこの地に決まっている。
 榛原町立大王小学校、町立榛原中学校卒。高校は県立畝傍高校。うねび、と読む。少し奈良に詳しい方なら、大和三山のひとつに数えられる山の名前であることをご存じであろう。こんもりとした丘程度の山である。麓に神武天皇が祀られている。
 夏、毎年8月4日には花火大会が開催され、この山間の小さな盆地に見事に花火の音が響き渡る。  花火といえば榛原のこの地の花火に決まっている。
 
 彼は、中学、高校と、バレー部のエースセッター。当時、県でいちばんのセッターと言われた。気が合って、彼とは中学高校と同じで、予備校まで同じ。京都二条城の隣まで一年間いっしょに通った。

 予備校を無事に卒業し、勉強を頑張った彼は某国立K大学医学部に進学し、京都の歴史学を頑張った僕は、某私立K大学に進学した。
 その夏、一回生だった彼と僕は、どう考えても花火大会は榛原のそれが一番に決まってる、という意見で一致し、彼の有名なPLの花火とはどの程度のものか、冷やかしに行ってやろうとこれも意見が一致し、昭和60年8月1日、近鉄線に揺られて富田林まで出掛けた。
 ゴルフ場の外周道路に腰を下ろし、案外人出が多いな、花火というものを知らない人が多いんだな、という意見でこれもまた一致し、その時を迎えた。
 花火大会が始まると、ふたりとも口をあんぐりと開けたまま、ひとことも話さないまま首が痛くなるまで上空を見上げ続けた。
 帰路、ふたりがひとことも発さなかったことは想像に難くないであろう。三日後に迫ったふるさとの花火に何だか申し訳ない気分でいたことは共通していたようだ。

 そののち三十数年が経ち、いま、PL花火の音が窓の外に響いている。まさか、彼と呆然と空を見上げたこの地に自分が棲むことになろうとは露ほども想像しなかった。
 この春、息子が大学に進学した。彼は、その大学の消化器内科で准教授を務めていて、挨拶に出かけた。まさか、自分の息子がそんな形で彼に関わるとはもっと想像していなかった。

 「宇陀市はいばら花火大会」は、今年で第60回を迎える。開催日は、警備の都合で今年から8月の第一日曜日に変更になったが、「8月4日の榛原の花火」は、他の花火大会とはまるで比べものにならない、おおきな思い出と希望を包み込んで、ことしも大輪の花を咲かせる。

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